はじめに
文中に登場する「オーディオ小僧」とはオレのことだが、オーディオに目覚めた1980年代から青年期の1990年代くらいまでを指す。
現代のオレはといえばオヤジになったオーディオが相変わらず好きな「元オーディオ小僧」である。

これは1980年代、オーディオ小僧だったオレがレコードとCDの過渡期にいかに向き合っていたかという話。

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時は1980年代。
それまでただの小僧だったオレはオーディオの世界に足を踏み入れ「オーディオ小僧」になった。

1982年、この年はオーディオ界では歴史的な出来事があった年だ。
レコードの代替メディアとしてCDが登場した年なのだ。

しかしこの時の記憶はほとんどない。
まだオーディオに興味を持つ少し前だったからだろう。

CD(コンパクト ディスク)はその名の通り、レコードよりもコンパクト。
キラキラ輝く銀色の円盤はオーディオ小僧の目には不思議なものに映った。

そしてソニーのCDプレーヤー1号機にして世界初となった「CDP-101」。
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ソニークロニクルより

レコードプレーヤーよりはるかに小さいその佇まいは次世代オーディオとして驚きをもって人々の前に登場した。

この2年後の1984年。
ソニーは当時世界最小のポータブルCDプレーヤー「D-50」を発売。
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ソニークロニクルより

CDケースサイズだが厚みはまだケース4枚分もある。
本来のポータブル用途としては当時であっても難ありと思ったが、後のダウンサイジングしたCDウォークマンを予感させるには十分だった。

今でいうCDウォークマンは当初「ディスクマン」と呼ばれていたが、この初代モデルにはまだディスクマンという名さえついていない。
商品名も「COMPACT DISC COMPACT PLAYER」だ。
ディスクマンの名が冠されたのは次のD-50MkⅡからで、D-50をさらにコンパクト化したものとなった。
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ウォークマンクロニクルより

ウォークマンにしちゃあでかいとはいえ、D-50の功績は大きく、CD普及の決定打となった。
それまで高価で手が出せなかったCDプレーヤーがなんと5万円を切る49,800円。
(オレも驚いたがそれでも買える値段ではなかったが・・・)

このモデルからCDを使い始めたというオーディオマニアも多くいたことだろう。
ポータブルプレーヤーというものは、性能・機能・コンパクトはもちろんだがまず人々が手にできる価格でなければ全く意味がない。
だからソニーは赤字覚悟の値段設定だったらしい。
こんなことは現代ではもうできないだろうな。

D-50はポータブル機ではあるが据え置き機としても十分通用するものだったので、これを機にCDプレーヤーを手にした人々も多かった。
据え置き時は電源トランスユニットとドッキングして使い、ポータブル時は別売りのバッテリーユニット兼キャリングケースを使用することで持ち運びを可能とした。
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ソニークロニクルより

ただバッテリーはラジカセ並みに単2アルカリ乾電池6本を使用するという、ウォークマン史上もっとも巨大かつ電費の悪いポータブル機だった。

とはいえ、D-50の登場はまだ普及が低迷していたCDの起爆剤となり、レコードを過去のものにするには十分な説得力を持つ商品となった。

オーディオ小僧が憧れのCDプレーヤーを手にするのはそのさらに2年後の1986年。
この2年間でCDを取り巻く環境はさらに変わっていた。

据え置き機は10万円を切り、安いもので59,800円のモデルから選べるようになっていた。
もちろんポータブルも小型化したが、そもそもCDプレーヤーすら持っていないオーディオ小僧にとってそれは後回しだ。
まずは据え置き機を購入し、レコードからの脱却を図らねばならない。

そこでオーディオ小僧はお年玉やお小遣いを貯め込み、パイオニアの中堅機「PD-7010」をなんとか購入した。

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当時のカタログ

今思えばなぜソニーではなくパイオニアにしたのかはよく覚えていないが、おそらく価格とデザインのバランスが一番よかったと判断したからだと思う。
実際この当時のパイオニアのデザインは秀逸だった。
(何よりパイオニアのバックには明菜がついているような妄想もあり・・・)

そして初めて買ったCDは中森明菜の「BEST」。
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1986年初盤CD この緑のシール帯は実にやっかいだがそれだけに思い出深い

実はCDプレーヤーを買うことを前提に先にCDだけ買ってしまっていた。

もう後には戻れないぞ、という状況を作って自分を追い込むのだ。
なのでプレーヤーを持っていない間ずっとCDを眺めながら「どんな音がするんだろう?」とワクワクした。

そしてパイオニアのCDプレーヤーを手にしたオーディオ小僧はついにCDの音を自分の部屋で初めて聴くことになる。
(それまでは家電量販店で聴いていた)

その時の感動は忘れられない。

一番驚いたのはノイズが一切ないクリアな音。
うちで聴いてもうわさ通りだった。
(どこで聴いても当たり前)

知ってはいたがレコードを聴く環境しかなかった自分の部屋でCDの音を聴くともう感動しかない。
新品のレコードでもなかなかプチノイズがゼロなんてものはない。
CDは何年経とうがノイズゼロなのだ。

操作性にしても片手でディスクをセット、ボタン一つで再生でき、B面にひっくり返す必要がないのはオーディオ小僧の常識を覆す画期的なものだ。

そういうわけでオーディオ小僧はレコードの終焉を待たずしてCDに切り替えることに成功したのだ。

レコード衰退(レコードの発売がなくなる)の影響をもろに受けなかったのは幸いだが、今となっては少しもったいなかったかなとも思う。
もっとギリギリまでレコードの音を耳に刻んでおけばよかった。

レコードとCDが同時発売されていた時代にCDの方を選ぶことができたのは優越感に浸れたが、もうあと2年待てばレコードとしっかりお別れできたんだろうなぁと。

もっともそんなセンチメンタルな気持ちになるのは今だからであって、当時は時代遅れのレコードとおさらばできたことに嬉々としていたオーディオ小僧であった。。

それはさておき、ついにCDプレーヤーを使い始めたオーディオ小僧はちょっとした悩みに直面した。

再生側がCDになったのはいい。

しかし録音側は相変わらずカセットである。
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なので当然CDのダビング(録音)先はカセットということになる。
なぜカセットにダビングしなければいけないかというと、それは外で聴くためである。

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当時はそれしか外で聴く手段がなかったからだ。
もちろんCDウォークマンもあったがマスター音源であるCDを持ち歩くことにはまだ違和感が残る時代ではなかっただろうか?
外に持ち歩くにはコピーであるカセットテープが安心である。

レコードがCDに変わっても録音スタイルはレコード時代となんら変わらないということ。
(それでもはるかに楽になったが)

さて、ではCDをカセットにダビングしてみよう、となるのだが問題となったのが、

「どこでA面とB面を区切るか」

ということ。

CDはレコードのようにA面とB面がない。
となるとカセットテープのA面にCDの何曲目までを入れるか?という問題が発生する。

もちろん適当にやることもできるが、オーディオ小僧は許さない。
レコードと同じでなければ気が済まないのだ。

まずはアルバムの総収録時間から使用するカセットのテープ長を決定するのはレコード時代と同じ。

ただ問題はここから。
例えば10曲あるアルバムなら5曲+5曲でまず間違いないだろうと想像はつく。

では明菜「BEST」13曲の場合はどうか?
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CD裏の曲目

「BEST」の総収録時間は52分48秒なので単純に考えれば54分カセットが妥当ということになる。
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当時54分カセットは46分と60分の中間としてごく一般的に使用されたテープ長である

13曲では2で割れないのでA面に6曲目または7曲目まで入れるということになるだろう。
もちろんCDプレーヤーのプログラム選曲で時間を積算していけば片面27分に入れられる曲数は容易に算出できる。

しかしこの時はまだレコードの時代。
ベスト盤といえど何かしら製作者の意図により面分けされている可能性も否めない。
区切る位置を間違えればそれが台無しと考えるのがオーディオ小僧である。

つまりA面の最後の曲、B面の最初の曲というのはまだレコードによるアルバム作りを意識していた時代にはとても重要なことだったのだ。

なのでこの場合、同時発売のレコードの面分けを見ればよい。
CDと違い、物理的に収録時間に制限が発生するレコードの収録状況を見れば一発で面分けができてしまうということだ。
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レコード裏の曲目

写真の通りレコードの面分けはA面(1~6)、B面(7~13)という状況だった。
時間を計算すると割と綺麗にA面(26:10)、B面(26:38)と片面27分の54分テープを使うのが最適ということがわかる。

さて、面分けと使用テープが解決したのはいいが次にオーディオ小僧が気になったのがこの「BEST」の曲順である。
これは明菜のシングルA面ベストであり、デビューから13枚目までのシングル曲が収録されているわけだが、曲順がリリース順ではないのが非常に気になる。
CDを聴いていてなんか違和感というか気持ち悪さがあったのだ。

ちなみにレコードとCDとで曲順や曲数が異なるというのはたまに見かけるが、この「BEST」はレコードもCDも曲順・曲数ともに全く同じだ。

詳細に見ていくとこうだ。

CDの収録順 ※()内はシングルのリリース順
1.スローモーション (1枚目)
2.セカンド・ラブ (3枚目)
3.トワイライト -夕暮れ便り- (5枚目)
4.北ウイング (7枚目)
5.サザン・ウインド (8枚目)
6.SAND BEIGE -砂漠へ- (12枚目)
レコードでの面分けはここ
7.SOLITUDE (13枚目)
8.ミ・アモーレ〔Meu amor é・・・〕(11枚目)
9.飾りじゃないのよ涙は」 (10枚目)
10.十戒 (1984) (9枚目)
11.禁区 (6枚目)
12.1⁄2の神話 (4枚目)
13.少女A (2枚目)

どうだろう。

これでわかる確実なことはレコード目線で見るなら、
・A面は古い曲から新しい曲へ
・B面は新しい曲から古い曲へ
という流れであること。

またA面(1~4曲目)、B面(11~13曲目)まではリリース順の奇数をA面、偶数をB面で振り分けているが以降はその法則が破綻しているということ。

これはつまり交互に入れていく法則通りに収録しなかった明確な理由があるということだ。
そこでリリース順の奇数をA面、偶数をB面の法則で曲順を再構成するとこうなる。

法則分けした場合(曲番号は据え置き)
1.スローモーション (1枚目)
2.セカンド・ラブ (3枚目)
3.トワイライト -夕暮れ便り- (5枚目)
4.北ウイング (7枚目)
10.十戒 (1984) (9枚目)
8.ミ・アモーレ〔Meu amor é・・・〕(11枚目)
7.SOLITUDE (13枚目)
面分けはここにする
6.SAND BEIGE -砂漠へ- (12枚目)
9.飾りじゃないのよ涙は」 (10枚目)
5.サザン・ウインド (8枚目)
11.禁区 (6枚目)
12.1⁄2の神話 (4枚目)
13.少女A (2枚目)

A面にはリリース順の奇数番、B面には偶数番で振り分け、かつA面は古い曲から新しい曲へ、B面は新しい曲から古い曲へという綺麗な法則。

なぜこうしなかったのか?

すぐにピンときたのはこの場合の片面収録時間である。

法則分けした方のA面の収録時間は29:35、B面は23:13となり、時間のバランスが非常に悪い。
そしてこのままでは60分テープが必要だ。

では試しにA面最後の曲「SOLITUDE」をB面側に持っていくと、A面の収録時間は25:10、B面は27:38となり、多少マシになるがそれでもバランスはよくない。
何より、A面の収録時間がB面より短いのはカセットへのダビングを考慮するとタブーである。

細かいこと言わずにこれでいいじゃないか、と思うかもしれないがそれは大きな間違いである。
なぜなら当時リリースされていたのはレコードとCDだけではなく、カセットもあったからだ。
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市販されるミュージックテープというものはAB面の各面の残り無録音部が少なくなるよう効率的に作られているものだ。
何万本もコピーを制作するのだから無駄な部分を減らすのはコストを考えれば当然。
A面の無録音部分が長ければ長いほどB面を聴くまでの時間がかかるので極力減らしたい。
A面を聴き終わったらなるべく早くB面に移行することが求められる。
それは自分でカセットにダビングしたことがあれば誰もがわかる道理である。

とにかくこの綺麗な法則による振り分けでは厳しいという話になったのだろう。

「BEST」の収録順決定の背景を推測してみる。

まずレコード、カセットで聴くことも確実に考慮していた。
A面は古い曲から新しい曲へ、B面は新しい曲から古い曲へという流れにしたかった。
この考えのもと、曲の配分を片面26分台になるようバランスを取るが、前半曲のリリース順奇数偶数配分ではうまくいかなかったため、途中から残りの曲でうまく調整した。
結果的にはA面の古い曲→新しい曲、B面の新しい曲→古い曲の流れは守られており違和感はない。
という予想である。
こんなことを考えていたんじゃないかなと思うのだ。

そしてこのことからわかることはひとつ。

中森明菜「BEST」は完全にレコードとカセットの物理的制約(面分け)のことを考慮しており、まだアナログに寄り添った考えのもとに制作されたベスト盤であった、ということだ。
逆に言うとCDで聴くことは構成に関しては全く考慮していない。
なぜならCDは面区切りがないので、古い曲→新しい曲→古い曲という流れとなり、違和感が残る流れとなってしまうからだ。

このベストはCDが勢いづいた1986年の発売であるが、CDの立ち位置はまだアナログに譲る部分が大きく、まさにメディア過渡期ならではの産物だったのだと思えてならない。
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まぁこれはベスト盤なので物理的制限によるポリシーのようなものだ。

それでも面分け部分においてはちゃんと理由があるアルバムということ。

さて、これに限らず面分けについて重要な理由があったことは周知の事実だ。
アルバムレコードの面分けは重要であるのは言うまでもなく、それにオレがこだわったのには他にも大きな理由がある。

それはレコード時代に培われたアルバムの流れ。

つまりコンセプトである。

まずコンセプトという言葉だが広義と狭義で分けておきたい。
広義でいうコンセプトとはレコード時代のアルバム制作時の暗黙のルールのようなものと定義する。
対してアルバム自体にテーマを明確にした本来のコンセプトアルバムを狭義とする。

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明菜コンセプトアルバムの代表といえばやはり「不思議」

ここで注目するのはどのアルバムにも共通する広義でのコンセプトである。
どのアルバムでも曲順と面分けには意味があり、順番に聴くことで一つのストーリーが見えてくるものだ。
よって曲順や区切りを変更することはアーティストが伝えたかった意図を見失うということにもなる。
シングルと違い、アルバムは片面複数曲による構成で一つの小さなテーマを描くものだから、そこを無視するとコンセプトが見えなくなるのだ。

例えばアルバムによっては「A面」「B面」でなく「Summer Side」「Winter Side」のように面に名前を付けてそれぞれコンセプトが異なると強く主張しているものもある。
つまりサマーサイドにウィンターサイドの曲が入ってくるのは奇妙であるということだ。

曲順にも重要な意味がある。
例えば、A面1曲目は元気でポップな曲ではじまり、A面ラストはバラードで一旦締める。
B面1曲目からは心機一転また元気な曲を持ってきてB面ラストに感動の大団円を迎える、なんて感じだ。
A面のストーリーとB面のストーリーを順に聴くことで一つの大きなストーリーが完結する。
本をページ順に読まない人などいないだろう、それと同じだ。

聖子の初期アルバムなんかを聴いていてもこれがとてもわかりやすい。
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それまでレコードでアルバムを聴いてきたオーディオ小僧にとって、レコードは絶対の基準だった。
だからアルバムの区切りはCDであってもなんとしても知っておかなければならない最重要事項だったという話である。


あとがき
現代の元オーディオ小僧はというと、新しいアルバムを聴く時はいつもこの面分けのことを意識してしまう。
レコード時代に培われたクセだから仕方ない。

このアルバム、カセットで録音するならどこで区切るかな?

録音するつもりもないが一応考える。

もっとも現代のアルバム制作において、レコード時代のコンセプトを考慮しているなんてことはないだろう。
おそらくレコードの時代の考え、窮屈な縛りから解放されて自由にアルバムを作っていると思う。

それでもレコードの時代のルールに則ったアルバムがあるのではないかと思ってしまう。

当時のアーティストの現代の新作アルバムにはレコード時代のコンセプトを密かに意識している部分があるのではと考えながら聴いていると楽しくもある。

サブスク主流となった現代、1枚のアルバムを順番に聴くという概念は古いのだと思う。

しかし、せめて当時のアルバムを聴く時くらいはそこにアーティストの思いがあることを思いながら聴いてほしいものだ。

次回90年代のオーディオ小僧へ続く。