これは最近ふと思ったことだ。
オレが好きな安全地帯のアルバムは聴き始めて2枚目のアルバムである。
なんとなくこれが他のアーティストでも同じことが起こっているような気がした。
少なくともいくつかは該当しているような気がしてならない。
これを意識したのはある日、安全地帯のオリジナルアルバムでオレが一番好きなアルバム「安全地帯Ⅲ」を聴いていた時である。
安全地帯の初期アルバムはデビュー作から、
安全地帯Ⅰ(1st 1983年)

安全地帯Ⅱ(2nd 1984年)

安全地帯Ⅲ(3rd 1984年)

「安全地帯Ⅰ」のリリース時はまだ世間の認知度は低く、おそらく世間がその存在に気づき始めたのは初めての大ヒット曲「ワインレッドの心(1983年)」が収録された「安全地帯Ⅱ」からだ。
当時、オレは安全地帯ファンの友人A君の家に遊びに行き、A君の(正確にはA君のお兄さんの)コンポを聴かせてもらいながら、その時なんとなく「安全地帯Ⅱ」をカセットにダビングしてもらい聴き始めた。
(レコードもA君のお兄さんのものである)
オレはまだラジカセしか持っていなかったので、レコードのダビングは友人か貸しレコード屋に頼っていた。
だからA君の(正確にはA君のお兄さんの)ステレオコンポでダビングしてもらった方が都合がよかったのだ。
この時、兄貴を持つ友人がどんなに羨ましかったことか。
とにかく「安全地帯Ⅱ」はシングル以外のアルバム曲も最高で、それ以来安全地帯がメチャメチャ好きになった。
そうなると次のアルバムも気になってくる。
やがて「安全地帯Ⅲ」がリリースされるとオレは再びA君(正確にはA君のお兄さん)を頼りにカセットにダビングしてもらったのだ。
すると「安全地帯Ⅲ」にも、どハマりした。
このようにして安全地帯が好きになったオレであるが、Ⅲ以降はそれほど夢中になって聴くことはなくなった。
月日は流れ、今でこそ安全地帯のアルバムは全て持っているが、無性に聴きたくなる時にまっさきに頭に浮かぶメロディはなぜか「安全地帯Ⅲ」の曲がほとんどなのだ。
なぜかと考え始めた時「好きなアルバムは聴き始めて2枚目になりがち説」という仮説を立てるに至ったのだ。
それを検証した。
「安全地帯Ⅱ」は間違いなく名盤であり、Ⅱこそが安全地帯の最高傑作という声も高い。
オレもそれに異論はないが、自分が好きなアルバムとなるとⅡではないのだ。
その理由を考えた。
当時「安全地帯Ⅱ」はシングルがヒットしていたからという理由でなんとなく聴き始めたものだ。
しかし「安全地帯Ⅲ」はⅡがよかったので次も聴きたいという強い想いのもと聴いた。
さらにこの時、安全地帯の音楽については少なからず知識がある状態での自身2枚目のアルバムなのでまず慣れており、より音楽を集中して聴くことができたのだ。
このそれぞれのアルバムを聴くに至るまでの思考の違いはあまりにも大きい。
この2枚の間に安全地帯に対する想いの変化があったというわけだ。
おそらくそんなところだ。
では、この法則が正しければ他でも当てはまるのでは?ということで振り返ってみた。
条件はリアルタイムでそのアーティストを追って聴いていた場合に限る。
1枚目のアルバムから2枚目のアルバムが出るまでの空白の期間が重要だからだ。
松田聖子
最初:Canary(8th 1983年)

2枚目:Tinker Bell(9th 1984年)

他の記事でも書いたが、Canaryはオレが初めて貸しレコード屋で自分で借りたアルバムだ。
正確にはCanary以前のアルバムを友人から借りたカセットをチラ聴きはしていたのだが、自らの意思で聴いたといえばやはりCanaryなのだ。
Canaryがリアルタイムだったかは定かではないがわざわざレンタルするのに古いものから借りるというのは考えにくい。
おそらくリリース間もなく聴いたのだと仮定する。
そしてTinker Bellである。
これもレコードでなく貸しレコード屋でダビングしたが、当時はオレの1番好きなアルバムに間違いない。
今となっては多くのアルバムが存在する中、好みは変わっていく。
一番とは言わないがそれでもベスト3に入るほど好きなのは変わらない。
中森明菜
最初:POSSIBILITY(6th 1984年)

2枚目:BITTER AND SWEET(7th 1985年)

これも記憶が曖昧なのだがANNIVERSARY(5th 1984年)が最初だったような気もする。
(ANNIVERSARYはFMのエアチェックで聴いていた)
間違いないのはPOSSIBILITYはレコードを持っていたということ。
そしてBITTER AND SWEETは間違いなく発売を心待ちにした今も1,2を争う大好きなアルバム。
聖子と同様、当時は一番だったので今も上位にあるのは間違いない。
小泉今日子
最初:Betty(5th 1984年)

2枚目:BEAT POP(12th 1988年)

これはちょっとパターンが違う。
まずアルバムのリリース順が飛んでいる。
KYON2のアルバムはK君にレコードからダビングしてもらったBettyが間違いなく最初なのだが、次回以降のアルバムの記憶がない。
確実なのはBEAT POPは友&愛(レンタルショップ)でCDを自ら借りてダビングした自身2枚目に聴いたアルバムだということ。
Bettyeから4年の月日が経ち、オレのオーディオ環境は激変していた。
オレはすでにレコードからCDに移行していたのだ。
とにかく、BEAT POPは今もどれよりも好きなアルバムということだ。
このような事態となった背景は、当時は聴きたい音楽がありすぎてつまみ食いしすぎたからだ。
多くのアイドルが乱立した80年代はやはり聖子・明菜は強すぎる。
お金はなく、好きだからとなんでも聴くことは不可能に近い。
誰に重きを置いて聴いていくのかはその時の己の匙加減次第だったのだ。
もちろん空白期間のアルバムについては後聴きで補完したのは言うまでもない。
杉山清貴&オメガトライブ
最初:River's Island(2nd 1984年)

2枚目:NEVER ENDING SUMMER(3rd 1984年)

オメガトライブは友人K君の勧めで聴き始めた。
River's Islandはカセットにダビングしてもらったもので聴いており、NEVER ENDING SUMMERは確かFMからエアチェックしたと思う。
(当時はFMでアルバムをまるまる流してくれる番組があった)
いかんせん、NEVER ENDING SUMMERは真冬の12月の発売で夏のイメージのオメガトライブとしては残念な時期だった。
荻野目洋子
最初:NON-STOPPER(6th 1986年)

2枚目:246コネクション(7th 1987年)

これは記憶がはっきりしていて間違いない。
NON-STOPPERはベスト盤のようでオリジナルアルバムっぽくないが大好きでCDを買った。
(オレが初めてパイオニアのCDプレーヤーを買った時期だ)
続く246コネクションは完全オリジナル。
荻野目洋子ならではのビートはやや落ち着きをみせるが、その代わりより聴かせるアルバムだった。
オレの1番は246コネクションで今も変わらない。
あとがき
そういうわけで、思い当たるものを挙げるとやはりいくつか該当はある。
もっと調べれば(思い出せば)該当しそうなものはありそうだ。
とにかく昔のことで時系列がさすがに曖昧で後付け感もなくはないが、本来順当に聴いていればやはり2枚目が自分の一番のアルバムになる可能性は高いような気がする。
もちろんこれに当てはまらないパターンも多々あるが、いくつか該当しているので2枚目説もあながち間違っていないと思っている。
当時1番でも今は他のアルバムのほうがいいと思うこともあるが、それでも2枚目が上位にくるのは間違いない。
アーティストの一番好きなアルバムは当時から現在までの心境や嗜好の変化で入れ替わるものだ。
なので当時はそうだったとしても、その後のアルバムでそれを超えるものが出てくることもある。
今と昔で違うのは1枚のアルバムに対する重み・ありがたみが全く変わってしまったということだ。
好きな音楽をなんでも聴けるわけでもなく、厳選して聴かざるを得ない環境だったからこそ1枚のレコードに対する想いは大きかった。
買わなくても好きな音楽をいくらでも聴ける現代。
そんな恵まれた環境と引き替えに、音楽を渇望する気持ちは失われているような気がする。
オレが好きな安全地帯のアルバムは聴き始めて2枚目のアルバムである。
なんとなくこれが他のアーティストでも同じことが起こっているような気がした。
少なくともいくつかは該当しているような気がしてならない。
これを意識したのはある日、安全地帯のオリジナルアルバムでオレが一番好きなアルバム「安全地帯Ⅲ」を聴いていた時である。
安全地帯の初期アルバムはデビュー作から、
安全地帯Ⅰ(1st 1983年)

安全地帯Ⅱ(2nd 1984年)

安全地帯Ⅲ(3rd 1984年)

「安全地帯Ⅰ」のリリース時はまだ世間の認知度は低く、おそらく世間がその存在に気づき始めたのは初めての大ヒット曲「ワインレッドの心(1983年)」が収録された「安全地帯Ⅱ」からだ。
当時、オレは安全地帯ファンの友人A君の家に遊びに行き、A君の(正確にはA君のお兄さんの)コンポを聴かせてもらいながら、その時なんとなく「安全地帯Ⅱ」をカセットにダビングしてもらい聴き始めた。
(レコードもA君のお兄さんのものである)
オレはまだラジカセしか持っていなかったので、レコードのダビングは友人か貸しレコード屋に頼っていた。
だからA君の(正確にはA君のお兄さんの)ステレオコンポでダビングしてもらった方が都合がよかったのだ。
この時、兄貴を持つ友人がどんなに羨ましかったことか。
とにかく「安全地帯Ⅱ」はシングル以外のアルバム曲も最高で、それ以来安全地帯がメチャメチャ好きになった。
そうなると次のアルバムも気になってくる。
やがて「安全地帯Ⅲ」がリリースされるとオレは再びA君(正確にはA君のお兄さん)を頼りにカセットにダビングしてもらったのだ。
すると「安全地帯Ⅲ」にも、どハマりした。
このようにして安全地帯が好きになったオレであるが、Ⅲ以降はそれほど夢中になって聴くことはなくなった。
月日は流れ、今でこそ安全地帯のアルバムは全て持っているが、無性に聴きたくなる時にまっさきに頭に浮かぶメロディはなぜか「安全地帯Ⅲ」の曲がほとんどなのだ。
なぜかと考え始めた時「好きなアルバムは聴き始めて2枚目になりがち説」という仮説を立てるに至ったのだ。
それを検証した。
「安全地帯Ⅱ」は間違いなく名盤であり、Ⅱこそが安全地帯の最高傑作という声も高い。
オレもそれに異論はないが、自分が好きなアルバムとなるとⅡではないのだ。
その理由を考えた。
当時「安全地帯Ⅱ」はシングルがヒットしていたからという理由でなんとなく聴き始めたものだ。
しかし「安全地帯Ⅲ」はⅡがよかったので次も聴きたいという強い想いのもと聴いた。
さらにこの時、安全地帯の音楽については少なからず知識がある状態での自身2枚目のアルバムなのでまず慣れており、より音楽を集中して聴くことができたのだ。
このそれぞれのアルバムを聴くに至るまでの思考の違いはあまりにも大きい。
この2枚の間に安全地帯に対する想いの変化があったというわけだ。
おそらくそんなところだ。
では、この法則が正しければ他でも当てはまるのでは?ということで振り返ってみた。
条件はリアルタイムでそのアーティストを追って聴いていた場合に限る。
1枚目のアルバムから2枚目のアルバムが出るまでの空白の期間が重要だからだ。
松田聖子
最初:Canary(8th 1983年)

2枚目:Tinker Bell(9th 1984年)

他の記事でも書いたが、Canaryはオレが初めて貸しレコード屋で自分で借りたアルバムだ。
正確にはCanary以前のアルバムを友人から借りたカセットをチラ聴きはしていたのだが、自らの意思で聴いたといえばやはりCanaryなのだ。
Canaryがリアルタイムだったかは定かではないがわざわざレンタルするのに古いものから借りるというのは考えにくい。
おそらくリリース間もなく聴いたのだと仮定する。
そしてTinker Bellである。
これもレコードでなく貸しレコード屋でダビングしたが、当時はオレの1番好きなアルバムに間違いない。
今となっては多くのアルバムが存在する中、好みは変わっていく。
一番とは言わないがそれでもベスト3に入るほど好きなのは変わらない。
中森明菜
最初:POSSIBILITY(6th 1984年)

2枚目:BITTER AND SWEET(7th 1985年)

これも記憶が曖昧なのだがANNIVERSARY(5th 1984年)が最初だったような気もする。
(ANNIVERSARYはFMのエアチェックで聴いていた)
間違いないのはPOSSIBILITYはレコードを持っていたということ。
そしてBITTER AND SWEETは間違いなく発売を心待ちにした今も1,2を争う大好きなアルバム。
聖子と同様、当時は一番だったので今も上位にあるのは間違いない。
小泉今日子
最初:Betty(5th 1984年)

2枚目:BEAT POP(12th 1988年)

これはちょっとパターンが違う。
まずアルバムのリリース順が飛んでいる。
KYON2のアルバムはK君にレコードからダビングしてもらったBettyが間違いなく最初なのだが、次回以降のアルバムの記憶がない。
確実なのはBEAT POPは友&愛(レンタルショップ)でCDを自ら借りてダビングした自身2枚目に聴いたアルバムだということ。
Bettyeから4年の月日が経ち、オレのオーディオ環境は激変していた。
オレはすでにレコードからCDに移行していたのだ。
とにかく、BEAT POPは今もどれよりも好きなアルバムということだ。
このような事態となった背景は、当時は聴きたい音楽がありすぎてつまみ食いしすぎたからだ。
多くのアイドルが乱立した80年代はやはり聖子・明菜は強すぎる。
お金はなく、好きだからとなんでも聴くことは不可能に近い。
誰に重きを置いて聴いていくのかはその時の己の匙加減次第だったのだ。
もちろん空白期間のアルバムについては後聴きで補完したのは言うまでもない。
杉山清貴&オメガトライブ
最初:River's Island(2nd 1984年)

2枚目:NEVER ENDING SUMMER(3rd 1984年)

オメガトライブは友人K君の勧めで聴き始めた。
River's Islandはカセットにダビングしてもらったもので聴いており、NEVER ENDING SUMMERは確かFMからエアチェックしたと思う。
(当時はFMでアルバムをまるまる流してくれる番組があった)
いかんせん、NEVER ENDING SUMMERは真冬の12月の発売で夏のイメージのオメガトライブとしては残念な時期だった。
荻野目洋子
最初:NON-STOPPER(6th 1986年)

2枚目:246コネクション(7th 1987年)

これは記憶がはっきりしていて間違いない。
NON-STOPPERはベスト盤のようでオリジナルアルバムっぽくないが大好きでCDを買った。
(オレが初めてパイオニアのCDプレーヤーを買った時期だ)
続く246コネクションは完全オリジナル。
荻野目洋子ならではのビートはやや落ち着きをみせるが、その代わりより聴かせるアルバムだった。
オレの1番は246コネクションで今も変わらない。
あとがき
そういうわけで、思い当たるものを挙げるとやはりいくつか該当はある。
もっと調べれば(思い出せば)該当しそうなものはありそうだ。
とにかく昔のことで時系列がさすがに曖昧で後付け感もなくはないが、本来順当に聴いていればやはり2枚目が自分の一番のアルバムになる可能性は高いような気がする。
もちろんこれに当てはまらないパターンも多々あるが、いくつか該当しているので2枚目説もあながち間違っていないと思っている。
当時1番でも今は他のアルバムのほうがいいと思うこともあるが、それでも2枚目が上位にくるのは間違いない。
アーティストの一番好きなアルバムは当時から現在までの心境や嗜好の変化で入れ替わるものだ。
なので当時はそうだったとしても、その後のアルバムでそれを超えるものが出てくることもある。
今と昔で違うのは1枚のアルバムに対する重み・ありがたみが全く変わってしまったということだ。
好きな音楽をなんでも聴けるわけでもなく、厳選して聴かざるを得ない環境だったからこそ1枚のレコードに対する想いは大きかった。
買わなくても好きな音楽をいくらでも聴ける現代。
そんな恵まれた環境と引き替えに、音楽を渇望する気持ちは失われているような気がする。